松尾神社(菊鹿町)のカッパの石像と夜泣貝

松尾神社(まつおじんじゃ)

山鹿市菊鹿町木野にある神社です。

境内にある樹木群がが市指定の天然記念物に指定されています。

※この記事は、2010年に書いたものに、一部、2020年に追記しています。

松尾神社の境内

松尾神社の拝殿と神殿

松尾神社の拝殿と神殿

祭神は大山咋神。創立は平安初期。

松尾神社の楠と夜泣貝

松尾神社の楠

御神木は2本のクスノキ。県指定の天然記念物です。

2010年1月13日の雪の日の松尾神社

楠は常緑樹ですが、季節によって周囲も様々に変化しますので、この場所から一年間定点撮影というのも面白いかもしれません。

松尾神社の夜泣き貝

この楠木には夜泣貝が住み着いています。

楠木の根元の石の上や下に多く住み着いているみたいです。

「この森にある楠木には夜泣貝が数多く住みついており、夜泣きをする赤ちゃんの枕に入れて寝かせると夜泣きが治まるという言い伝えがある。治ったら、貝を元の楠木に返して、お礼参りをする」

お祭りの時に近所の方に聞いたところ、子供が生まれたときにここに行ったそうです、この夜泣貝をほんとうに持ち帰られたかどうかまでは聴きませんでしたが…

ちなみに、鹿本町の高橋八幡宮にあるイチイガシにも夜泣貝が住み着いています。

松尾神社の仁王像と石工仁平

松尾神社で一番特徴的なのがこの仁王像です。1788年、江戸時代十一代将軍徳川家斉の頃作られました。高さは阿形が188cm、吽形183cmです。

なんだか子供を思わせる姿で、頭の髷や、まわしとも見れるる腰から下を見ると力士ではないかと思えるほどです。

この地区では相撲が盛んで、周辺地区の代表が集まって松尾神社にあった土俵で相撲大会が行われていたそうで、この仁王像を作った石工の仁平が生きていた江戸時代のこの地域ではどうだったのか興味があります。

漂う力士感(2020年撮影)

石工仁平は、石工として息子金七とともに、菊鹿に多数の石造物を残しています。

カッパの石造物はなに?宮司さんとの会話

神社の鳥居をくぐり、門をくぐり境内を見渡すと右側の一段高いところに大きな石塔が有るのがわかります。これは何でしょうか?

これまで何度も松尾神社に行っていて存在は知っていたものの気にもしていませんでしたが、なんだか気になるた佇まい。

近寄って、横から見てみました。

苔の感じもいいな・・・と見上げてみると。

なんか居る!

ナニコレ!

よく分からないので、庭を掃除しているおじさんに聞いてみることにしました。

あ、よく見ると宮司さんだ。

毎年、うちの地区の神社の祭りの時にはこちらの宮司さんに来てもらっています。

なお、御年80歳超えられています。

(ここから熊本弁でお送りしたします)

私「あの塔はなんですかね」

宮司さん「あの塔は、江戸時代に熊本の造り酒屋さんがよか酒のでくっごつ、みんなで奉納されたとたい」

私「神社に酒造りに関わっとらす神様のおんなっとですかね?」

宮司さん「なんな、よか質問ばしなはったね。あそこに書いてあるけん読んでみなっせ」

私「ああ、読んだつもりだったけど。。あとで読んでみます。」

私「あの上に乗っとっとは何ですかね?」

宮司さん「あれは、なんと思うね?」「酒造りに必要なものは何かいた」

私「水とか米ですかね~。だったら、あれはカエルとか亀とかトカゲとか・・・」

宮司さん「あれは、河童たい。頭ん上に皿のあるけん、よーと見てみなっせ」

ということで、この石塔は江戸時代に熊本の酒屋さんが良いお酒ができるようにと奉納された石塔でした。話によると結構大きな金額だったとか。立派な石塔ですもんね。

2020年追記 – 2019年に地元の神社での神事をお願いしたところ、お元気に神事を行われていました。90歳を超えられたそうです。

この石塔に書いてある銘文に「熊本」と「造酒」という文字が見えます。その横には名前が端まで並んでいました。(白線は写真に書き足しました)

そういえば、神社のご利益の中に、五穀豊穣と醸造守護というのがありました。

松尾神社の狛犬

細身の狛犬が2段に4体あります。こちらは上の段の狛犬。向こう側が雄です。

雄・雌をどういうふうに見分けるかというと、付いてるかついてないからしいです。何がとはいいませんが。

本分にわかの舞台

松尾神社がある本分地区には以前から伝わる「本分にわか」が地区の人によって行われています。

残念ながら、私はまだ一度も見たことがありません。

↓ ↓ ↓

2020年に行ったら…無くなってた!

あれから10年、大きな台風が来たり熊本地震があったり、災害が多数ありました。古い木造の舞台、取り壊されたのかもしれませんね。

松尾神社と遷宮祭

平成18年に、私が某地区の役員をしていた時に1200年祭が行われましたが、その日は雨で各地区から集まった行列が途中で中断してほんとに残念でした。とくに、「木山地区の行列は厳かで見もの」だと聞いていたので、見たかったという思いが今もあります。

以前の遷宮祭では松尾神社周辺には屋台が立ち並び、様々な催しが行われて盛り上がっていたそうです。

松尾神社のことを話す時に忘れてはならないのが、釣棚跡というこの場所です。

西暦807年、京都の松尾大明神を勧請した際、松尾神社の社殿が完成するまでの数日間、ここに生えていた松に棚を釣ってご神体を仮座した場所です。なお、ここに生えていた松は寛延年間(1750年頃)に落雷によって失われたそうです。

先に書いた遷宮1200年の祭りは、807年から1200年経ったというお祭りです。もちろんその行列はこの釣棚跡まで続きました。そしてこの場所で降雨により行列は終わりました。

松尾神社の遷宮祭は25年毎に行われていますので、次回の開催は2031年になります。

松尾神社の悪病退散の御札

こちらの札は、毎年、松尾神社から地元の地域に配られる悪病退散のための御札です。この御札を地区の入口などに立てて、悪病が入ってこないようにします。

松尾神社は、地元の方々のに愛される神社です。規模は小さな神社ですが興味を持って探してみると様々なものを発見できます。

松尾神社の場所と地区

松尾神社の場所は

〒861-0426 熊本県山鹿市菊鹿町木野2860

ところで、松尾神社がある菊鹿町の木野という地区。さらにいうと木野が含まれる城北(しろきた)地区、昔の城北村は、昭和30年3月31日までは菊鹿町に含まれておらず、昭和30年4月1日に六郷村、内田村と合併して鹿本郡菊鹿村となりました。城北村はお隣の菊池郡に含まれていたのでした。

※明治22年以前は木野村、昭和22年に菊池郡城北村、昭和30年に鹿本郡菊鹿村、昭和40年町制施行で菊鹿町、平成17年に山鹿市となりました。

ですので、昭和28年5月に発行された「鹿本郡神社誌」に城北村の記載がなく、当然、松尾神社も書いてないのでした。

地域の無形文化財や地区の方しか知らないような史跡の情報を集めたくてこのブログをはじめました。

当時を知る方もご高齢で、若い方々が知るチャンスが減っていっていますね…。

なにか記録を残せるものがあれば、ぜひ残されておいてください。

この記事は

2010年4月18日にアメブロで書いた内容に追記したものです。

開発のない地区の史跡は10年程度ではあまり変わりませんね。

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