菊鹿町に多くの石造物を残した石工仁平とその息子である金七。仁王像、眼鏡橋、お地蔵さん、宝篋印塔と、多くの文化財が今に残っています。
仁平作と言われる石造物のなかには、銘が残っていないものもありますが合わせて紹介していきます。
洞口橋
菊鹿町日渡(ひわたし)に架けられていた石橋です。安永3年(1774)に造られた石工仁平の石造物として一番注目されているものですね。熊本県最古の石橋ともいわれています。
平成5年の洪水で流されたために、橋は架け替えられ、同口橋は現在の位置に復元されました。
石橋の隣に架かる橋の下に名残を見ることができます。石垣の上の部分、川を挟んで左右から斜め上に向かって出ている石が見えると思います。これが、元々の洞口橋の跡です。
松尾神社の仁王像
菊鹿町本分にある松尾神社の仁王像です。
基台(土台)の後ろの部分に石工仁平の名があります。天明8年9月(1788年)に作られました。どこかふっくらとして子供っぽい姿です。よく見ると、下駄を履いているようにもみえます。
松尾神社は多くの面白さを持つ神社で、好きです。
鳥居
石工仁平・金七が作った鳥居は菊鹿町に2箇所あります。どちらも、銘が彫られています。
矢谷阿蘇神社
菊鹿町の矢谷渓谷に行く道、番所の棚田付近にある矢谷阿蘇神社の鳥居です。
仁平作で、建てられたのは宝暦13年10月(1763年)です。
鷹取八幡宮
仁平と息子である金七(と、もうひとりの名前の銘があります)が造った菊鹿町太田にある鷹取八幡宮の鳥居です。
建てられたのは寛政2年3月(1790年)です。
裏側に彫られている銘です。
仁平の文字、その隣に金◯という文字がかすかに見えているような気がします、実際に見てもよく分かりませんでした。こういうのは拓本で見ないとわかり辛いかも知れません。
地蔵菩薩
地蔵菩薩、六地蔵、六地蔵幢と多数のお地蔵さんを石工仁平と金七は造りました。
六地蔵幢
菊鹿町には六角形のそれぞれの面に地蔵菩薩を彫った「六地蔵幢」という石幢が多数あります。これらのうち、石工仁平の息子である金七の銘が入っている六地蔵幢があります。それが、菊鹿中学近くの川西の六地蔵幢です。
建てられたのは寛政年代で、はっきりとは分かっていませんが、金七の銘入りです。
このほか、仁平や金七が生きていた時代に作られ、またその造形から「仁平の作ではないか?」「金七作ではないか?」と考えられている六地蔵幢があります。
黒蛭の六地蔵(仁平・1761)
相良の六地蔵(仁平・1774)
太田の六地蔵(仁平・1777)
小畑の六地蔵(金七・1793)
山の井の六地蔵(金七・1818)
いわば「伝仁平作」「伝金七作」といったところです。
菊鹿町にある六地蔵についてまとめました。
年山の六地蔵
オーソドックスといったらあれですが、六地蔵と聞いてすぐ思いつくのが、六体のお地蔵さんが並んだ姿ではないでしょうか。
ここは年山という地区に向かう道路脇の階段上にあります。
5体が一つの屋根に入り、もう一体が後付されたようなお部屋にあります。
さらに、写真の左側に少しだけ見えているのですが、こちらにもお地蔵さんがあります。合わせて七地蔵といった感じです。
仁平の銘があり、造られたのは安永3年(1774年)です。
山ノ井地蔵菩薩
山の井、日渡、島田の三叉路にある塀の奥にありました。ここは個人所有の敷地内なので入るのはなんとなく憚られますが、お地蔵さんを囲む塀は低いので容易に見ることができます。
土台(基台)の横の部分に「仁平」の銘があり、安永4年正月24日に建てられたとあります。写真でもなんとなく仁平の文字がわかります。
日渡の地蔵菩薩
仁平作で、安永2年正月14日の銘があるそうです。
私はどうしても探し出せませんが、もしかして洞口橋の斜向いの上にある石仏がそれなのでしょうか?
高橋八幡宮の猿田彦
鹿本町高橋にある高橋八幡宮の猿田彦さんの石幢です。
高さがあり、圧倒されるような感じです。
後ろ側に周ると銘文が彫ってありました。そこには石工仁平の文字があります。
「石工 原口仁平」
なんと、原口という名字まで彫ってあります。
最初見た時、原口さんという、仁平とは別の石工さんが建てたものだと思っていましたが、目を凝らしてみるとちゃんと仁平の文字がありました。「平」が読めなかったですし、まさか原口さんという名字だとも知りませんでした…
この猿田彦さんは安永8年11月に建てられました。
高橋八幡宮の御神木はイチイガシなのですが、ここには、菊鹿町の松尾神社にいる「夜泣き貝」と同じ貝が住んでいます。
金剛乗寺の宝篋印塔
山鹿市、豊前街道沿いにある金剛乗寺の宝篋印塔です。
仁平作で、天明3年卯月?(1783)に建てられました。
石工仁平のお墓を訪れる
菊鹿町、あんずの丘にある山鹿市市民センター。この場所の奥に墓地があり、そこに石工仁平が眠られています。お墓は山鹿市の指定文化財に指定されました。